午前十時の映画祭 25
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「午前十時の映画祭」も終盤。ラスト3クールとなりました。
このクールは「クロサワ・イン・ウェスタン」という括りの2本です。
もちろん「用心棒」を勝手に西部劇に置き換えた「荒野の用心棒」と
名作「七人の侍」を正式に、翻案権を買って西部劇にした「荒野の七人」と、です。
余談ですが、僕が中2から中3に上がるとき、高知東宝でこの作品群の2本立てがあったのです。
昭和47年2月27日、「七人の侍」「荒野の七人」の2本立て。
昭和47年3月14日、「用心棒」「荒野の用心棒」の2本立て・・・
こんな粋な番組構成を、封切館でやっていたのですよ。
『荒野の用心棒』
1965年のイタリア製西部劇=マカロニ・ウェスタン
(イタリアではスパゲティ・ウェスタンというらしい)の第一作。
この作品の大ヒットにより、「・・・・用心棒」「夕陽の・・・」「・・・・ガンマン」「荒野の・・・」など
タイトルだけでは区別できない、安普請でバイオレンスなイタリア西部劇が
粗製濫造されるきっかけになりました。
それも、この「荒野の用心棒」が面白くて、大ヒットしたからにほかなりません。
面白いはず。黒沢明監督の大ヒット娯楽時代劇「用心棒」のストーリーをごっそり盗作しての
西部劇に置き換えただけなんですから・・・
あとで当然問題になって、権利金を払い、今では正式に「クロサワ作品のリメイクと謳っています。
アメリカで売れなかったクリント・イーストウッドがイタリアで主演してブレイクして
アメリカに凱旋し、「データぃハリー」に出て、ブレイクしていくのです。
40年ぶりに観た「荒野の用心棒」は正直拍子抜けしました。
本来西部劇は、抒情の中にガンファイトを盛り込むものとされていた図式を
残酷な銃撃戦で、人をモノのように打ち殺すバイオレンスが売り物だったはずなのに
今観てみると、普通なのです。あのころの感嘆はどこへ・・・?
バイオレンス描写がそれ以降、どんどん過激になって行ったので、感じなくなったんですね。
『荒野の七人』
こちらは1961年のアメリカ西部劇。
西部劇も終盤の頃です。娯楽色満載にエンタティンメントに仕上げられたのは
黒澤監督の「七人の侍」が農民を主人公にして、侍たちと絡ませるという視点なのに対して
こちらは、あくまで七人のガンマンが主人公の娯楽映画、これが成功しています。
ユル・ブレンナーが「七人の侍」にほれ込み、権利を買い、自分から監督もするつもりだったようですが
主演もしたくて、監督は「大脱走」で男たちの群像劇を仕上げた、そして西部劇でも名作を
残しているジョン・スタージェスに監督を任せたわけです。
「続・荒野の七人」という続編もユル・ブリンナ―主演でありますが、音楽だけ一緒で
監督も脚本も俳優もなってないので、どうしようもない駄作でした。
僕が好きだったのは、チャールズ・ブロンソン。
マックイーンとジェームズ・コバーンが「大脱走」から3人とも共演していますが、
実はそのころ、日本では「マンダム・ブロンソンブーム」の真っ最中だったのです。
「さらば友よ」「雨の訪問者」「狼の挽歌」と立て続けに公開され、人気俳優になったころです。
この写真のシーンは、七人があきらめて農村から出て行ったふりをして
盗賊に奇襲を仕掛けるために村に帰るシーンです。ここにあの勇壮な音楽が重なります。
一番好きな、西部劇であります。
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by lawrence1107 | 2011-12-24 10:09 | 映画マイラブ