ロレンスのP・オトゥール氏81歳で逝去す。

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僕が映画にはまったのは、中学2年生のときの昭和46年8月4日に、
テアトル土電の大画面で「アラビアのロレンス」を観たのが決定的出来ごとでした。

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この凶器(狂気、侠気)のような目と、逆にやさしい表情の両面に
とても惹き込まれる俳優さんでした。

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これはオードリーとの共演作「おしゃれ泥棒」の1場面ですね。

アカデミー賞主演男優賞に8度もノミネートされていながら
一度も受賞出来なかったということもよく取りざたされます。

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写真は7回目のノミネートの後、
アカデミー食特別賞授賞式でのもの。

その後、主演作「ヴィーナス」で、8回目のノミネートを果たします。

この稀有な名優を非常に詳しく捕らえているブログがありますので、
リンクさせてもらう日となします。

⇒ こちらです。



僕のピーター・オトゥール映画ベスト5

①「アラビアのロレンス」
②「冬のライオン」
③「ヴィーナス」
④「マーフィの戦い」
⑤「ロード・ジム」



ピーター・オトゥール氏の生涯はこういうものでした。
以下、ネットよりそのままコピーしました。

(略歴)
スコットランド人の母親とアイルランド人で競馬の賭け屋だった父親とのもとに生まれる。

6歳の時に舞台『ローズ・マリー』を観て演技に興味を持ち、 高校卒業後はジャーナリストになることを夢見て地方の新聞社「ヨークシャー・イヴニング・ニューズ」に入社。 写真部で働きながら、アマチュア劇団にも参加。

49年に初舞台を踏んで、演技の素晴らしさに魅了されていった。 新聞社をクビになると、海軍に入隊し潜水艦の信号手として活躍。 2年間の兵役の後、52年に奨学金を得て名門の王立演劇アカデミーに入学。アルバート・フィーニー、アラン・ベイツ、リチャード・ハリスらと共に演技を学び、 55年にはロンドンの由緒あるオールド・ヴィク座の舞台に立った。

59年には舞台『The Holiday』の公演で知り合った女優のシアン・フィリップスと結婚。 その後もウィリアム・シェークスピアの劇を中心に活躍。 60年にアンソニー・クイン主演の『バレン』で映画デビューを果たしたが、平行して舞台にも出演。 61年の舞台『ヴェニスの商人』ではシャイロックに扮して、その演技は絶賛を浴びた。

舞台での活躍がデヴィッド・リーン監督に認められて、歴史大作『アラビアのロレンス』のタイトルロール、T・E・ロレンス役に抜擢。 アレック・ギネス、アンソニー・クインといった大スターを相手に、この複雑なキャラクターを見事に演じきり、彼の演技は映画と共に絶賛されて、アカデミー主演男優賞に初ノミネートされた。 『ロレンス』の成功によって一躍世界的な名声と人気を獲得。

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ヘンリー二世を演じた『ベケット』(64)では舞台仕込の演技と見事な台詞回しでリチャード・バートンの相手役を堂々と努め、 『冬のライオン』(68)でもヘンリー二世を演じてキャサリン・ヘプバーンの相手役を好演。その演技は高く評価され両方の作品でオスカーにノミネートされた。 次々と名演技を披露して評価を高めたものの、酒癖の悪さが災いして撮影現場で度々トラブルを起こし、 『冬のライオン』では75万ドルの出演料と興行収益の10%を手にしたが、オトゥールが酔いつぶれて撮影が遅れたため、製作者はギャラの支払いを渋った。

シリアスなドラマで濃厚な演技を披露するかたわら、 プレイボーイの雑誌編集者を演じたコメディ『何かいいことないか子猫チャン』(65)、 オードリー・へプバーンの相手役を務めた軽妙な犯罪劇『おしゃれ泥棒』(66)、007映画のパロディ『カジノロワイヤル』(67)など軽いタッチの作品にも出演。 それ以外にも、ジョセフ・コンラッド原作の『ロード・ジム』(65)、冷酷なナチス将校を演じた『将軍たちの夜』(66)、 4度目のオスカー・ノミネートを果たしたミュージカル映画『チップス先生さようなら』(69)などに出演。

演技派俳優としての地位は揺るぎないものとなったが、強烈な印象を残したロレンス役を超えるまでには至らなかった。 70年代に入っても人気は衰えることはなく、たった一人でドイツ軍Uボートに復讐を挑む整備兵を演じた戦争アクション『マーフィーの戦い』(71)、 年老いたドン・キ・ホーテを演じたミュージカル映画『ラ・マンチャの男』(72)、 5度目のオスカー・ノミネーションを果たした『The Ruling Class』(72)などの大作や話題作に出演。

75年には長年のアルコールへの依存が祟って腹部の腫瘍が悪化。余命幾ばくもないと宣告されたが、手術を受けて奇跡的に回復した。 79年には「ペントハウス」誌が1億6000万ドルの巨費を投じて製作したポルノ映画『カリギュラ』にシーザー皇帝役で出演。タイトルロールを演じたマルコム・マクダウェルと共にキャリアに大きな汚点を残した。

80年には古巣のオールド・ヴィク座の『マクベス』に出演。しかし、舞台は史上最悪のシェイクスピア劇と評され、大失敗に終わった。 80年の『スタントマン』では独裁的な映画監督役を熱演。批評家にも絶賛されて6度目のオスカー・ノミネートを果たし、 82年の『My Favorite Year』(82)では7度目のアカデミー主演男優賞にノミネートされたが、どちらも受賞は逃した。 人気コミックを映画化した『スーパーガール』(84)、ラジー賞の助演男優賞にノミネートされた『クラブ・パラダイス』(86)などの失敗作が続いたが、 アカデミー賞を独占したベルナルド・ベルトルッチの歴史大作『ラスト・エンペラー』では皇帝溥儀の家庭教師を好演。

90年以後も『ラルフ一世はアメリカン』(91)や『ファントム』(98)などの平凡な作品や、『ガリバー』(96)や『ヒットラー』(02)などのテレビ映画で才能を浪費していたが、 04年には古代ギリシャのトロイ戦争を題材にした『トロイ』に出演。この久々の歴史大作でトロイの王プリアモスに扮して、 ブラッド・ピットやオーランド・ブルームといった若手と堂々と渡り合う存在感のある演技を披露した。

79年に離婚したシアンとの間に二人の娘をもうけ、長女のケイトは父親と同じ道を歩んで俳優となり、『ザ・デッド/「ダブリン市民」より』(87)などに出演している。


ご冥福をお祈りいたします。
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by lawrence1107 | 2013-12-16 14:05 | 映画マイラブ